ディレクターズ・ノート

震える世界に

相馬千秋

シアターコモンズ'24 メインビジュアル

大地が震えている。

地球のエネルギーによって。あるいは投下された爆弾の破壊エネルギーによって。今この瞬間も、震える大地で、誰かが震えている。寒さに震え、飢えに震えている。怒りに震え、悲しみに震えている。言葉にできないすべての感情に震えている。命が震えている。

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)発表によると、2022年末、地球上の難民・避難民が人類史上はじめて1億人を超えた。実に世界の74人に1人、全世界人口の1%以上が故郷を離れなければならないという衝撃的な数字である。21世紀に入ってからの20年間を振り返るだけでも、数えきれないほどの紛争、迫害、災害が世界各地で発生し続けている。アフガニスタン紛争、シリア、ソマリア、イエメン、ミャンマーでの内戦、ロシアによるウクライナ侵攻、そしてパレスチナ・ガザへのイスラエル軍による侵攻。日本でも東日本大震災および福島の原発事故や、喫緊の能登半島地震を含め絶え間なく連続する自然災害で、住む場所を失ってしまった人々が避難生活を続けている。

とりわけ2023年10月7日、ハマスがイスラエルを奇襲したことに端を発する、イスラエル軍によるガザ攻撃では、すでに3万人近い一般市民や子どもたちの命が失われ、その何十倍もの人々が負傷し、家族や家を失い、土地を追われ、生命維持ギリギリの難民状態にある。国際法さえ機能しないこのような状況に対し、世界各地ではデモや抗議活動が展開されているものの、周辺諸国をも巻き込んだ構造的暴力の応酬を止めることはできない。極めて大きな緊張の中で、世界は今、あちこちで裂け、炎症し、激烈な痛みに震えている。

日本に関して言えば、2020年から2023年まで続いたパンデミックの後遺症が癒える間もなく、度重なる天災が文字どおり大地を揺さぶっている。オリンピックから万博へ、非常事態を直視せずに突き進む空虚な巨大プロジェクトを尻目に、私たちは宙ぶらりんなままヴィジョンなき危機の時代に放り出されている。

止めることのできない構造的暴力や天変地異を前に、芸術に何ができるかという自己証明の問いはほとんど意味をなさない。だが、何もなす術がない状況を受け入れながら、これらの現実を想像し続ける扉を開き続けるために、演劇・劇場の知(コモンズ)を使い続けることはできるはずだ。劇場は古来、舞台上で展開されるフィクションを通じて、他の時代、他の場所、他の人々の世界に触れる場であった。それがフィクションであるにもかかわらず、しかしそれがフィクションであることによって、人々は遠い昔の、遠い場所の、見ず知らずの誰かの悲劇を自分の現実に重ね合わせ、共感したり、分析したりすることができた。今、私たちは無力にも他所・他者を想像することしかできないかもしれないが、演劇・劇場が蓄積してきた共有知としての「想像する力」だけを頼りに、この扉を開き続けるしかない。

今回のシアターコモンズのプログラムは、筆者自身がプログラム・ディレクターを務めた世界演劇祭テアター・デア・ヴェルト2023(2023年6月29日〜7月18日、ドイツのフランクフルト、オッフェンバッハで開催)で創作ないし発表された作品を主軸に構成されている。「世界を複数化する」というヴィジョンを掲げた本芸術祭のハイライトを日本の観客とも共有したいというシンプルな発想で編まれたプログラムは、しかし2023年10月7日以後、まったく異なる意味を帯びることになった。ドイツではそれまでも、2022年のドクメンタ15での一連の炎上で、反ユダヤ主義と表現の自由をめぐる分断線が鮮明化していたが、10月7日以降は、イスラエルを批判するアーティストや文化人がキャンセルされるケースが相次ぎ、また逆に彼らがドイツの公的文化機関や芸術祭をボイコットする動きも加速し、状況は深刻だ。今振り返れば、西洋中心主義的な世界観・歴史観を脱臼し、複数の世界を生成することを目指した芸術祭においてさえ、こうした対立が水面下での亀裂や抑圧を生み出していたのである。

今回のシアターコモンズでは、パンデミックからさらなる分断の時代へ、混沌としますます見通しのきかない世界の中で、想像力の扉を開け続ける身振りとして、5人のアーティストの5つの異なる世界に飛び込んでみたい。

アピチャッポン・ウィーラセタクンの『太陽との対話(VR)』は、VR技術によって拡張された身体や知覚をもって、真空の海底や洞窟にダイブするような経験だ。言語を超えた映像詩、坂本龍一の音楽が作り出す波動、空間に漂う光の粒子たち……。そこでは時間感覚が変調し、夢とも臨死体験とも言える特異な経験の連なりが、私たちを異世界へと誘う。

一方、古くから人間が作り出してきたフィクションそのものも、現代の想像力の扉への導火線たり得る。市原佐都子は、日本に古くから伝わる「俊徳丸伝説」から出発し、この物語がもつ構造や悲劇性を現代に読み替え、文楽の形式を取り入れた現代の人形劇を創作した。そこでは、子捨て、病める身体への差別、親子の葛藤、救済といった原作の悲劇的モチーフが、クイア的な視点から徹底的に読み替えられ、善悪を超えた彼岸へと見る者を連れ去る。

ウズベキスタン出身の映像作家サオダット・イズマイロボは、中央アジアに伝わる神話や民話、儀式、残された古い映像記録などから異世界を立ち上げていく。シルクロードの砂漠や古代遺跡、過去および現在のイスラーム世界の都市と人々、動物たち、旧ソ連時代に建設された建物群……。そこでは現実と異世界の境界が曖昧になり、集団的な記憶が立ち現れては消え、見る者を圧倒的な映像美へと誘う。

幼少期に難民としてイランからオランダに移住したナスタラン・ラザヴィ・ホラーサーニは、祖国イランに暮らす子どもたちとの電話通話からソロパフォーマンス『Songs for no one – 誰のためでもない歌』を生み出した。受話器の向こうの不可視の子どもたちは、声だけの存在として舞台に現れ、私たちの想像力をイランの日常と接続する。制限された自由の中で想像力を絶やさない子どもたちの声とアーティストの歌唱ショーは、人々に自由を鼓舞するエンパワメントともなり得るはずだ。

韓国を代表するアーティスト、イム・ミヌクは今回、大林財団の助成のもと東京で2年がかりのリサーチを経て、隅田川と東京湾周辺を屋形船で周遊する水上ツアー・パフォーマンスと、それに関連した展覧会を同時開催する。屋形船の中で行われる音楽やガイド、川辺で行われる出来事の交錯によって、境界をめぐる認識や身体感覚が再編成される旅となるだろう。

また、これらのアーティストの芸術実践やそれを下支えする思想や世界観を、3つのフォーラムを通じて掘り下げていく。「コモンズ・フォーラム#1」では、イスラーム圏に出自を持つ2人のアーティストを交えつつ、過去そして現在において不可視にされている存在への芸術的アプローチについて、現在の世界状況も踏まえて議論する。「コモンズ・フォーラム#2」は、ジェンダーとパフォーマンス、社会とパフォーマティヴィティの関係について、最新の創作実践と理論をブリッジしながら考察を深めたい。「コモンズ・フォーラム#3」では、「現実とは何か」という哲学的かつ科学的な問いをめぐって、VR(仮想現実)作品を発表するアピチャッポン・ウィーラセタクンと脳科学者の藤井直敬との対話からアプローチしていく。

さらに今回は、コロナ禍の3年間に失われた集会の機会を回復し、その場に集い時間や空間を共有することで生成される対話や交流にも重きを置く。初の試みとして、「コモンズ・ツアー」と題し、2週末にわたり、シアターコモンズの演目やアーティストのトークを集団で鑑賞し経験を共有するツアーを企画する。演目やトークの鑑賞だけでなく、その前後のナビゲーターや参加者とのおしゃべり、記念撮影など、シアターコモンズを能動的かつ横断的に楽しむツアーとなる予定だ。ぜひご参加いただきたい。

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正直に言えば、この文章を書いている2024年1月中旬現在、ここに何を書いても思考を定着させられない、させたくない困難さを抱えている。大地が震え、人々の命が震える世界で、私たちはなす術なく立ち尽くしている。シアターコモンズが開催される2ヶ月後、世界はどうなっているのだろう。あまりに不確かな世界の中で、それでも想像力の扉を開け続けるささやかな共有地として、今回のシアターコモンズは立ち現れる。今はその扉を、ただ保留して開けておくことだけを約束したい。

相馬千秋(そうま・ちあき)

シアターコモンズ実行委員長兼ディレクター(2017–現在)。NPO法人芸術公社代表理事。アートプロデューサー。演劇、現代美術、社会関与型アート、VR/ARテクノロジーを用いたメディアアートなど、領域横断的な同時代芸術のキュレーション、プロデュースを専門としている。フェスティバル/トーキョー初代プログラム・ディレクター(2009–2013)、あいちトリエンナーレ2019および国際芸術祭あいち2022パフォーミングアーツ部門キュレーター。2015年フランス共和国芸術文化勲章シュヴァリエ受章、2021年芸術選奨(芸術振興部門・新人賞)受賞。2021年より東京藝術大学大学院美術研究科准教授。2023年ドイツで開催された世界演劇祭テアター・デア・ヴェルト2023のプログラム・ディレクターを務めた。

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