ディレクターズ・ノート
Translating Commons - コモンズを翻訳する
相馬千秋
シアターコモンズは、劇場/演劇の概念を拡張することで出現するあたらしい「劇場」です。日常生活や都市空間の中で「演劇をつかう」、すなわち演劇的な発想を活用することで、「来たるべき劇場」の形を提示することを目指します。
2017年1月25日、第1回シアターコモンズは、この宣言とともに幕開けをした。演劇というメディアが歴史的に蓄積してきた共有知(コモンズ)を活用することで、私たちが生きる社会に共有地としてのコモンズを仮設的に立ち上げる。これが、シアターコモンズ設立から現在に至るまで、このインディペンデント・プロジェクトの開催目的であり存在意義であり続けてきた。
シアターコモンズで創作・発表された数々の作品や企画は、固定の「劇場/ステージ」を持たない不安定さと引き換えに、空間的制限のない地点から自由に発想されてきた。どんなに小さな規模でも必然性ある芸術的挑戦を積み重ねることで、ユニークな発表・参加形態を開発してきたように思う。例えば、観客が初見で戯曲の読み手となり上演に参加することで成立するリーディングパフォーマンス、コロナ禍において少人数や遠隔参加の必要性から集中的に開発されたXRパフォーマンスやメタバースでの上演、鍼治療やヨガなど観客の身体への物理的作用を取り入れたセラピーパフォーマンス、仮設的な集団において特定の歴史的事象を再演(リエナクト)するパフォーマンスなど。この10年間に開発されたこれらのパフォーマンスは、シアターコモンズの目指す演劇の本質が、観客の体験にあることを示すものでもある。これらの作品はその後、筆者がキュレーターの一人を務めたあいちトリエンナーレ2019や国際芸術祭あいち2022、プログラム・ディレクターを務めた世界演劇祭テアター・デア・ヴェルト2023といった大規模な芸術祭で拡大展開されたが、そこに至るすべての実験はシアターコモンズから始まったことを改めて記しておきたい。
今回の記念すべき第10回シアターコモンズでは、これまで10年間欠かさず参加してきた唯一の存在でありながら、一度も「参加作家」としてはクレジットされてこなかった翻訳者集団、Art Translators Collective(以下、ATC)をクリエイティブパートナーに迎える。ATCのメンバーたちは、シアターコモンズ全回のキュレーション・コンセプトやプログラムを翻訳し、膨大な量のトークやワークショップを通訳してきたが、その10年という年月を振り返ると、彼らこそが「演劇の共有知(コモンズ)を活用して、社会の共有地(コモンズ)をつくる」というシアターコモンズの理念を体現した存在であったと言っても過言ではない。
例えば2017年1月25日、第1回シアターコモンズの最初の演目は、フランス人演出家パスカル・ランベールによるワークショップ「都市をみる/リアルを記述する」だったが、この台本なき完全即興の3日間を通訳したのが、ATCのアソシエイトメンバーの平野暁人である。フランス語では通訳者をInterprèteというが、この言葉が舞台芸術のパフォーマーも意味するように、平野は話者への同化と異化を巧みに交えた独自の通訳スタイルを確立し、「通訳/パフォーマー」を体現する存在になった。また主要メンバーである田村かのこや樅山智子らは、シアターコモンズが世界各地から招くアーティストの膨大な演劇的知を翻訳/受肉しながら、媒介者/表現者としての問いを耕し、自らの創造活動へと実装していった。
そんなシアターコモンズ最大の伴走者であった彼らが今回、「翻訳の葬式」という物騒なタイトルを掲げるのは、AIによって自らの市場価値が無化するという絶望感からだけではない。それは「翻訳の終焉」は遠からぬ将来、「創造行為の終焉」にもなり得るという深刻な懸念に基づいている。翻訳という行為は、単に言語から言語への意味の変換だけではなく、ある現実を別の現実へとうつしかえる行為でもある。例えば、ある人間が知覚した世界を、絵画や音楽、言語や身体的動きなど別の媒体へと「翻訳」すること。これこそ人類が原初の時代から行ってきた、あるいは幼児期から行っている創造行為そのものであるが、AIはこれらの創造的翻訳作業をほぼ一瞬の電子計算で生成してしまう。その模倣精度や学習速度によってAIの生成物が人間の創作物と見分けがつかなくなってきた今、私たち人間が行う創造行為の喜びや快楽、自発性はどうなってしまうのだろうか。「人間らしさ」がむしろ、ズレや失敗、躊躇いといった、データ化されづらい不確定要素の発露だとしても、それさえもAIが学習し巧妙に模倣生成するであろう近い将来、私たちはどのように「人間であること」や「人間による創造物」を証明できるのだろうか。演劇が蓄積してきたコモンズ(共有知)はそのとき、何か役に立つのだろうか。今回のシアターコモンズは、「人間の翻訳(創造行為)は死ぬのか?」というATCからの切実な問いかけをシアターコモンズ全体へと敷衍しながら、AIとの拮抗が不可避となる近未来の演劇のコモンズ(共有知/共有地)の議論を開始したい。
オープニングプログラムとして、市原佐都子が自身の戯曲『バッコスの信女—ホルスタインの雌』をチューリヒ市立劇場で新演出した上演記録映像を上映し、トークを行う。この戯曲は、日本語からドイツ語へ翻訳される過程で、どのように2019年の日本という固有の文脈から2025年のチューリヒへと翻訳されたのか。そもそも演出という行為自体が、固有の時代や社会を異なるそれへと翻訳する作業であるならば、本作の創作者たちはどのように「演出/翻訳」のプロセスで生まれるズレを乗り越え、その飛躍を楽しみ、ローカルの観客と共有することができたのだろうか。スイス市立劇場のチーフドラマトゥルクも招き、演劇における「翻訳」という、古くて新しい問いからシアターコモンズの幕を開けたい。
続く週末には、松原俊太郎の最新戯曲『魔法使いの弟子たちの美しくて馬鹿げたシナリオ』を、小野彩加 中澤陽 スペースノットブランクによる演出で上演する。松原戯曲は、近代的言語や論理的思考に敢えてバグやズレを発生させる遊戯的逸脱ゆえに、翻訳不可能性への挑戦とも捉えられるが、スペースノットブランクの二人はその不可能性に、魔法のような演出技術で立ち向かう。松原戯曲と彼らの演出の掛け合わせから生じる乱数が、俳優たちの身体や表情を通じて空間に次々と生成翻訳され、観る者の脳に混乱と快楽を与えるとき、私たちはAI時代でも消えない「人間らしさ」を確認できるかもしれない。
アンヌ゠ソフィ・テュリオンとエリック・ミン・クォン・カスタンによる「HIKU」では、舞台上には日本語–フランス語の通訳者/パフォーマーしかいない。重度の引きこもりを体験し社会復帰段階にある三人の出演者たちは、彼らの部屋から遠隔操作されるロボットをアバターとして舞台に登場する。彼らが身体を伴う強制的対人コミュニケーションから「引き」、別の回路で対話が翻訳されることで、劇場空間が親密なコモンズへと変容していくとき、そこには誰もが自由な向きで地べたに座って寛ぐ居場所のような、劇場の未来形が見えてくるかもしれない。
アーティストの原田裕規はこれまで、コンピューターグラフィックスや合成音声を駆使し、どこにもありそうでない風景、特定の誰かでありそうでない顔と声などを作成し、見る者の知覚や無意識を攪拌しながらも、芸術史への応答を通じて現代アートの普遍的な問いに挑戦し続けてきた。今回初参加となるシアターコモンズでは、ゴヤの絵画と言葉「理性の眠りは怪物を生む」を参照項に、過去作《光庭》や《Waiting for》などで取り組んできた反演劇的な舞台設定を、振付家ハラサオリとの協働を通じて、SHIBAURA HOUSEという実在する空間へ展開を試みる。そのとき、行為を委託されたパフォーマーと観客の間には、どのような翻訳作業が生まれ、共犯関係が結ばれるのだろうか。
シアターコモンズの会期を通じて展開されるATCの数々のプログラムは、人間による翻訳が終焉する可能性に向き合うことで、人類の創造性についての問いを開く壮大なものだ。通訳者の田村かのことアーティストのマユンキキは、翻訳を「(話者と通訳者が)ともに現状に向き合い、社会を変えるための実践につなげる行為」として捉え直し、マイノリティ/マジョリティそれぞれの立場から未来へ向けた「宣言」へと結実させるレクチャーパフォーマンスを行う。前述した平野暁人は、演出に篠田千明を迎え、自身の詩的試論「もうすぐ消滅するという人間の翻訳について」を自ら「翻訳」するソロショーを展開する。通訳者および作曲家として長年「聴くこと」をめぐる倫理と美学に批評的に取り組んできた樅山智子は今回、サイン・ミュージシャンでろう詩人のSasa-Marieとタッグを組み、クィアかつフェミニスティックな実践として、聴覚を超えて通訳的に「聴く」快楽を共有する儀式を立ち上げる。映像作家・翻訳者リリアン・キャンライトはライブビデオエッセイ=レクチャーパフォーマンスを、通訳・劇作家・俳優の植田悠は、字幕なし日英セルフ通訳のバイリンガル一人芝居を行い、それぞれ通訳者/アーティストとしての複数的アイデンティティを独自のナラティブへと昇華する。
そして今回10周年を記念し、これまで培われてきたキュレーションの思想と実践を次世代と共有する特別プログラム「次世代のキュレーターのためのコモンズ・キャンプ2026」を開催する。キュレーションとは、異なる時代や歴史、社会とその文脈、それを支える言語や文化などを相互に「翻訳」し、作品と観客を媒介する創造的作業である。本プログラムは、その翻訳者/媒介者としての実践知を客体化・言語化することで、これからのアジア地域において可能なキュレーションの形についてともに学び合う仮設の共同体となるだろう。ここでのレクチャーやプレゼンテーションはオンラインでも公開し、映像アーカイブ化を試みることで、未来からもアクセス可能なパブリック・リソースへとしても開いていきたい。
今後ますます、情報発信者が人間かAIかの区別がつきづらくなっていく中で、他者から「あなたは人間ですか?」と問われたとき、私たちはそれをどう証明できるのか。そして、文学や美術、音楽に至るまで、創作までもその区別がつかなくなっていくとき、生身の人間の前で行うパフォーマンスは、究極の贅沢品となるかもしれない。劇場は、人間が人間であることを証明する場所として価値をもつようになるのだろうか? そこで生身の人間が生身の人間に向けて振る舞うことや、そこで派生するデータ化できない空気や磁場を、私たちは未来のコモンズと呼ぶことになるのかもしれない。そんな近未来からのざわめきを感じながら、シアターコモンズは次なる10年に向けて幕を開けることになる。ぜひそのざわめきを体感しに、ご参加いただきたい。
相馬千秋(そうま・ちあき)
NPO法人芸術公社代表理事・アートプロデューサー。みなと芸術センターm〜m開設準備室プログラム・ディレクター。東京藝術大学大学院美術研究科准教授。領域横断的な同時代芸術のキュレーション、プロデュースを専門としている。プログラム・ディレクター、キュレーター等を務めた芸術祭として、フェスティバル/トーキョー(2009–2013)、あいちトリエンナーレ2019、国際芸術祭あいち2022、シアターコモンズ(実行委員長兼任、2017–現在)、世界演劇祭テアター・デア・ヴェルト2023等がある。2015年フランス共和国芸術文化勲章シュヴァリエ受章、2021年文化庁芸術選奨・文部科学大臣賞新人賞(芸術振興部門)受賞。