キュレーション・コンセプト

Rebooting Touch 触覚の再起動

相馬千秋

丸3年が経過したパンデミック。往来や接触が制限された「触れられない時代」は、ようやく次のフェーズに進もうとしているように思われる。国境が開き、共集の場も回復しつつある。人々は移動と接触を再開し、コロナ時間に強制同期させられた時計は、少しずつ個々の時を刻み始めているようだ。しかし、ロシアによるウクライナ侵攻、それに端を発するエネルギー危機やインフレーションなど、地球規模の不安は増大し、不確実性の中でどう生き延びていくかという課題は切実感を増す一方だ。

「触れられない時代」に触れ合う方法とは何か。目に見えないウイルスという制御不能なものを、それでもコントロールするための強制的管理と制限。これらを乗り越えて、どのように芸術は、他者や他所の存在との接触領域を拡大することができるのか。そして物理的な距離によって分断されたものの間に、いかに有機的な相互作用を生み出すことができるのか。この3年間、多くの芸術がこの命題と格闘してきた。もちろんシアターコモンズもその例外ではない。

そもそもTheater(演劇/劇場)の語源である「テアトロン」が、古代ギリシャにおいて「見る場所」を指し示していたように、演劇はその起源から「見る」芸術であった。またラテン語由来の「Auditorium(講堂、ホール)」も、聴覚auditionと同語源から派生していることからも明らかなように、「聴く場所」を意味している。つまり劇場は、もともと「見る場所」「聴く場所」であり、視覚と聴覚の優位性が担保された場であることは疑いようがない。そこであえて触覚が論じられることは、歴史的にも理論的にも一部の例外を除いてほとんどなかったという。

しかし今、パンデミックを契機とする非接触の時代を経て、改めて触覚という感覚の可能性を、演劇実践の中に位置付け直す必要性を感じている。それは、物理的接触による「演者と観客の一体感」や「ライブ感」が舞台芸術の醍醐味だというような、素朴な自己肯定が目的ではない。むしろ、「触れられない時代」に触れ合おうとする逆説の渦中で、他者や他所と触れ直す方法を開拓したいという戦略的な意図に基づく。そのポジティブな表明を、「触覚を再起動する」という言葉で表してみたい。そもそも極めて主観的な感覚である触覚を、あえて「再起動」すること。その試みは、自己の手や皮膚によって、あるいはそこからの知覚をキャッチする脳によってなされるだけではない。他者の痛みに触れ、歴史と記憶に触れ、未知の生命や存在に触れる。あるいは最新のデジタル技術の力も借りて、イマジナリーな触覚で触れる。その時、私たちの触覚は自由に拡張し、既知の身体感覚をラディカルに更新するはずだ。それは他者・他所への共感にもつながる。その可能性を芸術実践に取り入れていくことによって、あらたな触覚的ドラマトゥルギーの扉を開くことができないだろうか。

今回のシアターコモンズでは、この問いに対し、4名のアーティストがそれぞれ異なるアプローチと方法論で触覚的ドラマトゥルギーの開拓に挑む。

過去5年間に渡りAR/VR技術を活用したパフォーマンスの創作に取り組んできた小泉明郎は今回、VR演劇『縛られたプロメテウス』(2019)、VR彫刻『解放されたプロメテウス』(2021)に続くプロメテウス3部作の最終章『火を運ぶプロメテウス』で、一連の探求の到達点を提示する。天上界から火を盗み人類に授けたプロメテウスの神話は、人類とテクノロジーの緊張関係を象徴するが、実際に遺伝子操作によって人類の身体や知覚そのものが書き換えられたら、「新しいヒューマン」はどんな痛みや喜びを感じ、自然や宇宙との関係を再構築するのだろうか。小泉はこの問いから出発し、VRの世界でのみ体験しうる、近未来の神話を編み上げる。具体的には、実際にVR体験者の手や触覚に直接作用する方法も用い、人間の知覚に揺さぶりをかけることになる。

自らの皮膚の延長としてラテックス製のボディスーツを自作し、装着するパフォーマンスを展開するアーティスト、サエボーグ。今回シアターコモンズおよび世界演劇祭から委嘱を受けて、非人間的なキャラクターたちが共生するメタバース空間をプロデュースする。世界中どこからでもアクセス可能なメタバースでは、誰もが自在に家畜動物や害虫、さらには微生物や植物などに変身/変異し、ノンヒューマンの世界のルールで戯れることになる。あえてメタバースというデジタルワールドを遊び場とすることで、どんな触覚的コミュニケーションが生成されるのだろうか。

繊細な揺らぎを触覚的に掴み取る映像とテキストの両輪で独自の表現を開拓する映画監督・作家の中村佑子。彼女は今回、触れられないものにそっと触れる眼差しと手つきを、シネエッセイの手法を用いたワークショップで参加者と共有する。散文を書くように映像を綴るシネエッセイは、特別な技術がなくてもできる、日常の心象に触れ、その輪郭と質感を記録する手法である。今回は特に、コロナ禍を生きる若い世代にシネエッセイの手法を伝授し、彼らの眼差しと手つきを借りることで、コロナ禍の宙吊り感に触れ直していく。

私たちが普段暮らす都市、そこに堆積する歴史や記憶に触れるにはどうしたらいいのだろうか。佐藤朋子は、都市と歴史を自らの身体にトレースし、レクチャーパフォーマンスとして出力することで、一貫してこの問いに向き合ってきた。今回彼女は、オノ・ヨーコ、ジョン・ケージら歴史的なパフォーマンスの数々が行われてきた草月アートセンター(1958-71)の記録に触れるところから、まだ語られていない歴史/物語へのアクセスを試みる。これらの記録が生身のパフォーマー/語り手である佐藤自身の身体を経由することで、歴史との接触面に新鮮な摩擦を生み出すはずだ。

また今回のシアターコモンズでは、筆者がプログラム・ディレクターを務める世界演劇祭テアターデアヴェルト2023(2023年6月末–7月、ドイツのフランクフルト市およびオッフェンバッハ市にて開催)に先駆け、両フェスティバルが重なる3つのテーマをもとにフォーラムを開催する。もともと世界演劇祭のキュレーション・コンセプトは、2021年に開催されたシアターコモンズ’21のテーマ「孵化/潜伏するからだ - Bodies in Incubation」を発展させたものであり、パンデミック下の日本で構想した複数の作品や企画が、ドイツで発表される予定だ。その両方で作品を発表するアーティストたちと共に、改めて東京での実践とドイツでの挑戦をつなぐ視点で議論を深め、半年後のアウトプットに向けて、思想面でも準備を進めていきたい。

気がつけばシアターコモンズは今年で7回目を迎える。2017年の設立以来、日本の東京という場所において持続可能なインディペンデント・ランのプロジェクトモデルとして、毎回ゼロベースからスタート、公共・民間・諸外国文化機関から複合的にファンドレイズをし、不安定ながらも継続的に事業を遂行してきた。その7回のうち、2020年、2021年、2022年、そして2023年と、半分以上がコロナ禍での開催となっている。そう考えるとシアターコモンズはむしろ、パンデミックに翻弄されながらも、その逆境の中で新たな発想と弾力性を獲得し、進化を遂げてきたとも言える。コロナ禍を経て再起動しつつある私たちの触覚や知覚とともに、これからの「コモンズ=共有地」はどのように広がっていくのだろうか。今回のシアターコモンズもまた可変的かつ仮設的に、パンデミックのトラウマと空虚な祝祭のあとの東京に、ひっそりと立ち上がることになる。ぜひその場に、それぞれ可能な場所からご参加いただきたい。

相馬千秋(そうま・ちあき)

シアターコモンズ実行委員長兼ディレクター(2017–現在)。NPO法人芸術公社代表理事。アートプロデューサー。演劇、現代美術、社会関与型アート、VR/ARテクノロジーを用いたメディアアートなど、領域横断的な同時代芸術のキュレーション、プロデュースを専門としている。フェスティバル/トーキョー初代プログラム・ディレクター(2009–2013)、あいちトリエンナーレ2019および国際芸術祭あいち2022パフォーミングアーツ部門キュレーター。2015年フランス共和国芸術文化勲章シュヴァリエ受章、2021年芸術選奨(芸術振興部門・新人賞)受賞。2021年より東京藝術大学大学院美術研究科准教授。2023年にドイツで開催される世界演劇祭テアター・デア・ヴェルト2023のプログラム・ディレクターに就任。

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