開催概要

都市にあらたな「コモンズ=共有地」を生み出すプロジェクト、シアターコモンズ。演劇公演、レクチャーパフォーマンス、ワークショップ、対話型イベントなどを港区内で開催!

シアターコモンズは、演劇の「共有知」を活用し、社会の「共有地」を生み出すプロジェクトです。日常生活や都市空間の中で「演劇をつかう」、すなわち演劇的な発想を活用することで、「来たるべき劇場/演劇」の形を提示することを目指しています。演劇的想像力によって、異質なものや複数の時間が交わり、日常を異化するような対話や発見をもたらす経験をアーティストとともに仕掛けていきます。
第4回目となる今回は、これまで人類が発明してきた新旧様々なテクノロジーを介在させた演劇作品やパフォーマンス、ワークショップ、対話型イベントなどを、11日間にわたり港区内で集中的に開催します。

シアターコモンズは、港区内に拠点をもつ国際文化機関、台湾文化センター、ゲーテ・インスティトゥート東京、アンスティチュ・フランセ日本、オランダ王国大使館とNPO法人芸術公社が実行委員会を形成し、「港区文化プログラム連携事業」として港区内を中心に展開します。

ディレクター・メッセージ

聞くことのポリティクス−分断と不和を乗り越えるために
相馬千秋(シアターコモンズ ディレクター)

 「立ち止まってくれ。ちょっと話そう。わたしたちは21世紀を迎え、同じ方向に逃げる群れとなった。」

松原俊太郎の戯曲『正面に気をつけろ』は突然、こう始まる。語るのは「群衆人間」と名付けられた謎の登場人物だ。群衆人間は一本道をひたすら正面に進んでいく。迂回路もなく、後戻りもできない。「わたしたち」の属する国家や共同体が経験した様々な危機や失敗の記憶が波のように押し寄せて、死者たちを饒舌にさせる。だが今、私たちはこう言うべきかもしれない。「立ち止まってくれ。ちょっと話を聞こう」、と。

メディアテクノロジーの発達により、誰もが主体的に「語る」ことが容易な時代を迎えて久しい。スマートフォンさえあれば、幼い子供でも世界的なユーチューバーになれるし、戦時下でも詩を詠めば瞬時に世界中に発信することができる。だが、誰もが表現者になれる時代は、誰もがその表現を凌駕する大声で妨害できる時代をも意味する。他人の表現を一部だけで判断したり、一方的に断罪したり、暴力的な攻撃さえ加えられる――、そのような事態が今、「表現」を脅かし、語る主体を萎縮させようとしている。

先のあいちトリエンナーレ2019に端を発した一連の出来事は、(私自身がキュレーターという当事者だったことを差し引いたとしても)今日の日本で表現活動に関わる者にとって、あまりに大きな衝撃をもたらした。この短い文章でその複雑な一部始終を解説することは避けるが、一言で言うならば、これまでも既に社会のあちこちに堆積していた様々なレベルの不寛容と、それが生み出す分断や抑圧がいっきに可視化された事件だった。その影響は、これまでアートとは無縁だったと自認する不特定多数の怒れる市民から、日本の文化政策の中枢たる文化庁にまで及び、議論は幾多のメディアを通じてさらに増幅され、政治家たちの介入により国会や裁判所にも飛散した。その事態は未だに収束しないどころか、この国の芸術文化政策の根幹や国際的信用をも揺るがし、危機感は強まる一方だ。半年後にオリンピックという国家主導の祝祭を控えた今、自主規制は人々の内面に深く作用し、表現の萎縮がさらに進行するのか。私たちは、「あいち以後、オリンピック前」という極めて特異な時間の中で、どこに向かうべきか、どうすればこの危機を脱することができるのかわからずにいる。言わば宙づりの状態だ。
それゆえ、私たちは自らにこう語りかけてみてはどうか。「立ち止まってくれ。ちょっと話を聞こう」、と。演劇は、もともと人の話を聞くための装置でもあったはずだ。演劇はその起源において、神々や英雄の声、死者の声、敗者の声、あるいは人間ではない畏怖の存在の声を聞くメディアであった。今、私たちが聞こうとしても聞くことができない声はどんな声か。あるいは、聞きたくないとつい耳を塞いでしまう声はどんな声か。自分の話をする前に、他人の話を聞く。21世紀も20年が過ぎた今なお、人の話を一切聞かずに自分の主張ばかりする者たちが分断を煽るのであれば、私たちはまず人の話を聞き、「わかり合えないもの」同士が互いを聞き合う回路を発明することによって、分断を乗り越えていくしかないのではないか。そもそも「わかり合えないもの」同士が共存する社会を前提にしたとき、目の前の敵対と不和の内なる正体は何か。芸術、そして演劇が、この問いに向き合うことなく、自らの表現の自由を無条件に主張することは難しい時代に突入したのだ。
今回のシアターコモンズは、「あいち以後、オリンピック前」という特異な時期の開催となり、不可避的に、当初から予定されていた演目に加え、あいち後に急遽追加した企画が混在する形となった。だが、その両方を貫く軸はシンプルだ。人の話を聞く。自分の近くで、あるいは遠くで日々生成される声を、個人で、そして集団で聞く。身体とともに聞く。自分の声も聞く/話す。そのとき、お前の話は聞きたくないと拒絶されることもあるだろう。だが、その「非聴」の状況を逆手にとり、聞こえない声同士を出会わせる新たな回路を発明しなければならない。それこそが、今、演劇というツールを使って試みなければならない、古くて新しい挑戦なのだ。

私たち人間の身体やその知覚や感覚、感情は今、新旧さまざまなテクノロジーの介在によって、どのような状況に置かれているのか。今回のシアターコモンズでは当初の計画を踏まえ、テクノロジーと人間の緊張関係や共犯関係から、この問いについて考察する一連の作品を上演する。小泉明郎による『縛られたプロメテウス』は、VR技術を使った本格的な演劇作品だが、体験者は身体の拡張と有限性に引き裂かれるような逆説を経験することになるだろう。インドから再び参加するシャンカル・ヴァンカテーシュワランによる最新作『インディアン・ロープ・トリック』は、前近代の魔術的なトリックが、近代においても人々の幻想や欲望と結びつき、ある共同体の神話を強化してきた構造自体を暴き出す。また今回初登場となるナフームは、人間の精神へのアプローチとしてヒプノシス(催眠術)を用いる。そして、他者の感情や身体を催眠によって操作するという危険な一線を敢えて越えることで、人々がまだ見ぬ宇宙空間と内的空間の接続を試みる。催眠術も、VRも、魔術的トリックも、人間の知覚を騙し、見えないものを見せる技術であるという共通点をもつが、現代のアーティストはその仕掛けに対してどんな批評的な視座を持ち込むのだろうか。
またドキュメンタリー演劇のあらたな旗手、ジルケ・ユイスマンス&ハネケ・デレーレは、スマートフォン操作で買い物も犯罪も遂行可能という、私たち人類の身体が置かれた状況を舞台上に出現させる。そして彼ら自身もまた、救いようのない他者の現実を、指先の操作一つで舞台上に「悲劇」として出現させてしまう。誰もがあまりに容易に「悪」に加担してしまう世界の中で、彼らは舞台上で「一言も発さない」という選択をとる。果たしてその態度は、これからの演劇をどのような方向に導くのか。これら4つの作品上演後、3月7日に行われるコモンズ・フォーラム「芸術と仮想性」は、生身の身体性を担保にしてきた演劇が、来たるべき仮想現実技術によってどのような未来に向かうのか、考察を深めたい。

今の東京で有効な言葉は何か。この問いから選ばれた戯曲を、その場に集まる観客自身が、集団で、声に出して読む。今回2回目となるリーディング・パフォーマンスでは、二人の演出家とともに戯曲を選定した。市原佐都子は、1世紀以上にわたり「日本人女性」のイメージを流布し続けるオペラ『蝶々夫人』のセリフを、わざわざ日本語で集団朗読するという倒錯的アプローチを通じて、西洋と東洋、男性と女性の間の、圧倒的に非対称な欲望を裏返し、笑い飛ばす。中村大地は、松原俊太郎の近作『正面に気をつけろ』で、この戯曲が放つ巨大なエネルギーを、同時代に生きる観客との発話を通じて集団的経験へと再編成する。過去と未来、あの世とこの世の狭間の一本道で、亡霊のように繰り返し立ち現れる戦争や震災、民主主義の挫折という大きな物語/歴史。この言葉を注入され続ける「わたしたち」の身体と脳は、どんな衝撃と変容を体感するのだろうか。

これらの上演と並行して、あいち後に噴出した諸問題を巡る対話と考察の場も創出したい。劇的な形で分断と不和が可視化された今日の社会において、私たちはどこへ向かうのか。この火急の問いへの応答として、4回にわたりコモンズ・フォーラムを集中的に開催する。「芸術と社会」「芸術と公共」「芸術と仮想性」「芸術と政治」という4つのテーマ設定のもと、国内外から総勢20名を超える論客を招き、観客同士の対話も含め、合計10時間を超える議論を行う。歴史と未来をつなぎ、理論と実践を行き来しながら、社会の分断を乗り越える芸術の可能性を探る対話によって、人の話を聞き、集団で思考するミクロな公共圏が立ち現れるはずだ。
また、一連の騒動の教訓を未来の文化事業運営の共有知として活用すべく、アートプロジェクトにおける危機管理ワークショップを企画する。(私自身も含む)芸術祭事務局が2ヶ月半にわたり経験した非常事態での危機管理や対応策、またJアートコールセンターの一員として受けた電話の向こう側に関する考察。これらを他の当事者や専門家を交えて共有し、今後の文化事業でも実効性あるプログラムとして開発・提供したい。ここに集う参加者もそれぞれの経験や知見を持ち寄り、相互に学び合うことで、危機管理に関する共有知の領域を拡大することができるはずだ。
もう一つのワークショップを企画するキュンチョメは今回、人々が自分の「いちばんやわらかい場所」を暴き出すための儀式的な試みを提案する。個人および集団でのアクションを通じて、各自の無意識や記憶に深く潜り込み、それぞれが信じるものの手触りとその由来を語り合う。「人の話を聞くこと」によって自らを更新し生成する循環に期待したい。

正直に言えば、私はまだ混乱しているのだ。あまりに大きな課題が目の前にあり、その手のつけられなさに焦り、不安を感じ、心底憂鬱な気持ちになる。と同時に、やがてはこの非常事態にも慣れ、そういうものとして折り合いをつけていこうとする空気が社会を覆う速度にも恐れを感じる。この感覚は、9年前の震災直後を想起させる。私は当時ディレクターを務めていた芸術祭のテーマを「私たちは何を語ることができるのか」と設定したが、もう一つのカタストロフを経験した私は今、むしろこう言うほうにリアリティを感じる。「私たちは何を聞くことができるのか」と。そこで私たちは立ち止まり、考え、他人の話を聞くことによって、芸術という営みが今日の社会で存立する意味と条件を再構築し、その価値観を必ずしも共有しない人たちとの対話を重ねることを諦めてはならない。今回のシアターコモンズは、「あいち以後、オリンピック前」の宙づりの時間の中で、未済の混沌を受け入れながら立ち止まるための、火急の共有地としての役割を果たすだろう。ぜひその場に集まって、皆さんの知恵や好奇心、戸惑い、怒り、そして希望を共有していただきたい。

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基本情報

  • シアターコモンズ ’20
  • 会期|2020年2月27日(木)〜3月8日(日)
  • 会場|東京都港区エリア各所
  • 主催|シアターコモンズ実行委員会
  • 台北駐日経済文化代表処 台湾文化センター
  • ゲーテ・インスティトゥート東京
  • 在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本
  • オランダ王国大使館
  • 特定非営利活動法人 芸術公社
  • 共催|

    港区 令和元年度港区文化プログラム連携事業
    慶應義塾大学アート・センター

  • パートナー|SHIBAURA HOUSE
  • 助成|公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京

クレジット

  • シアターコモンズ実行委員会
  • 委員長|相馬千秋(特定非営利活動法人芸術公社 代表理事)
  • 副委員長|王淑芳(台北駐日経済文化代表処 台湾文化センター長)
  • 委員|ペーター・アンダース(ゲーテ・インスティトゥート東京)
  • 委員|サンソン・シルヴァン(在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本)
  • 委員|バス・ヴァルクス (オランダ王国大使館)
  • 委員|大舘奈津子(特定非営利活動法人芸術公社 理事)
  • 監事|須田洋平(弁護士)
  • シアターコモンズ実行委員会事務局
  • ディレクター|相馬千秋(芸術公社)
  • 制作・事務局統括|清水聡美(芸術公社)
  • 制作|大舘奈津子(芸術公社)、戸田史子(芸術公社)、藤井さゆり(芸術公社)、山里真紀子、小林麻衣子
  • 企画アドヴァイザー|岩城京子(芸術公社)
  • 編集|柴原聡子、橋場麻衣
  • 広報アドヴァイザー|若林直子
  • 翻訳|田村かのこ(芸術公社、Art Translators Collective)
  • アート・ディレクション&デザイン|加藤賢策(LABORATORIES)
  • ウェブデザイン|加藤賢策、伊藤博紀(LABORATORIES)
  • 制作アシスタント|芝田遥
  • インターン|牛山茉優、大川文乃、小橋清花、関あゆみ、鄭禹晨、プルサコワありな、松本愛
  • 経理|松下琴美
  • 法務アドヴァイザー|須田洋平(弁護士/芸術公社)
  • シアターコモンズ'20 技術スタッフ
  • 舞台監督|ラング・クレイグヒル
  • 照明|山下恵美(RYU. Inc)
  • 音響|稲荷森 健
  • 映像|佐藤佑樹(エディスグローヴ)
  • 記録映像・写真|佐藤 駿