レポート

芸術史ラボ|第2回レポート

2018.9.5

8月27日にシアターコモンズ・ラボ「芸術史ラボ」の第2回が行われました。

講師は、劇作家・演出家・作家で遊園地再生事業団主宰の宮沢章夫さん。「チェーホフはなぜいまだにこんなに面白いのか?」を全体のテーマとして、ロシアの劇作家アントン・チェーホフの現代性を問い直しながら、チェルフィッチュ『三月の5日間』へと接続するアクロバティックな3時間半でした。

 *アントン・チェーホフ(1860~1904)はロシアを代表する劇作家、小説家。代表作に『かもめ』、『ワーニャ伯父さん』、『桜の園』などがある。

レクチャー前半。宮沢さんはまず『かもめ』のニーナとヘンリック・イプセンの戯曲『人形の家』のノーラを比較します。どちらも近代劇の代表的な女性の形象ですが、ノーラが毅然とした態度で家を捨てる「強い女」であるのに対し、ニーナはこそこそ隠れながら生きる平凡な人物です。その意味で、ニーナよりもノーラの方がドラマチックな存在であると言えます。しかし、宮沢さんはニーナの側にこそ同時代の人間のリアルな姿が映し出されていると指摘します。チェーホフはある意味、イプセンよりも微細な意識の変化を捉えることが出来ていたのです。
しかし、これは単にチェーホフがイプセンより劇作家として優れていた、というわけではありません。宮沢さんは、ここで議論の補助線として別役実の著作『ベケットと「いじめ」』(1987)に言及します。別役実は本書の中で、「演劇には方法論化できない八〇パーセントの部分と、方法論化できる、要するに、時代の世相に従って変えていかなければならない二〇パーセントの部分がある」と述べています。八〇パーセントの部分とは作家が生きる時代性、つまり作家を否応なく規定する社会や経済や文化の部分です。そして、チェーホフが生きたのは資本主義が急速な発展を遂げる転換期のロシアでした。チェーホフは、現代の私たちへと繋がる近代という時代のとば口を生きていたのです。宮沢さんは、この時代の変化が、チェーホフとイプセンのドラマツルギーの違いに対応し、チェーホフを二十世紀演劇の起点たらしめているといいます。

レクチャー後半。宮沢さんはさらに「身体」と時代の関係性に注目し、日本の現代演劇へと視線をうつします。菅孝行が『戦後演劇』(1981)のなかで指摘するように、アングラ演劇の興隆を支えたのは他でもない高度経済成長と、非正規雇用という新しい労働形態でした。その状況は「フリーター」という言葉が一般化した現在まで、少しずつ変化しながら続いています。今回のレクチャーでは、そうした社会の連続性と変化に目を向けながら、大島渚の『青春残酷物語』からアメリカ公民権運動のデモ行進、転形劇場の『水の駅』、高円寺・素人の乱、そしてチェルフィッチュ『三月の5日間』に至るまでの「歩く」身体の変容を概観しました。そしてレクチャーの最後では、『三人姉妹』の三女イリーナに、労働する身体の萌芽を読み込むことで、チェーホフと現代演劇とを身体のレベルで接続する糸口が暗示されました。

2時間半を超える濃密なレクチャーの後、休憩を挟んで質疑応答が交わされました。現在、宮沢さんが目下取り組んでいる『14歳の国』ともからめながら、宮沢さんの具体的な問題意識に触れることが出来たように思います。およそ3時間半の長丁場でしたが、有意義な時間となりました。

 残り三回となった芸術史ラボ、次回の講師はPort B主宰の高山明さんです。

(芸術公社インターン・黒川知樹)

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