レポート

森山直人ラボ|第8回

2018.1.12

12月28日に、森山直人ラボの最終回となる第8回が行われました。

このラボでは、演劇批評家であり京都造形芸術大学舞台芸術学科教授の森山直人氏をディレクターに迎え、舞台芸術史と「いま・ここ・わたし(たち)」を接続する技術というテーマのもと、各回講師を招いて講座を行っています。今回は、ロンドン大学ゴールドスミス校にて講師を勤め、研究のかたわら日欧現代演劇専門のジャーナリストとして活動する岩城京子氏による、「パフォーマンス」「性」「民族」を考える講義となりました。

岩城氏は自身の経験を踏まえながら、欧米圏における演劇批評がいかに歪んだものであるかを説きます。西洋演劇史における、いわゆる「正典」としての作品のみを演劇の基盤として学ぶことで、欧米圏の人々は「自己」と「他者」の境界を明確に線引きしている。そのような欧米の文脈を汲んでいる以上、批評にもフィルターがかかっていると言わざるを得ません。また、イギリスでは、演劇の観客の92%が白人であるそうです。このような現状において、演劇批評はどのような問いを立てればよいのでしょうか。

また、講義後半ではエリカ・フィッシャー=リヒテが提唱する「インターウィーヴィング・パフォーマンス」に関して、質疑応答も含め活発な議論が交わされました。すでに提唱されていた「インターカルチュラル・シアター」には、解釈の問題やアイデンティティの問題など、さまざまな問題がはらんでいました。あくまで“西欧人”と“非西欧人”のインターカルチュラルでしかなかったこの言葉に対抗すべく考えられたのが、「インターウィーヴィング・パフォーマンス」。さらにリヒテは実践の場としてInterweaving Performance Cultures研究所を設立します。しかしここにも限界があると岩城氏は指摘します。英語を共通言語としているため、英語を話せる人間が強くなってしまう現状。言語に頼らないとなると、身体的なパフォーマンスが扱われやすくなる現状。ここでもまた、制度に絡めとられてしまう問題が浮き彫りになっているのです。

全8回の講義を通して、現代演劇や現代舞踊の開拓者たちが試みた理論や実践を「いま・ここ・わたし(たち)」の立ち位置から掴み直すこのラボ。最終回となる今回は、演劇の制度を問い直す非常に批評的な内容となりました。毎回異なるテーマに食らいつき、考え、議論し、時にはパンクしそうなほどの情報量に溺れながら駆け抜けた6ヶ月間。ここでの学びが、受講生のみなさんの活動において実を結ぶことを願っています。

(芸術公社インターン・庄子真汀)

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