レポート

森山直人ラボ|第7回

2018.1.10

森山直人ラボの第7回が12/21に行われました。

当ラボでは、演劇批評家であり京都造形芸術大学舞台芸術学科教授の森山直人氏をディレクターに、「芸術史と「いま・ここ・わたしたち」を接続する技術」というテーマで各回ゲストをお招きして講義を行っています。今回のゲストは、美術史家・東京大学大学院総合文化研究科准教授の加治屋健司さんです。今回は、パフォーマンスの視点から「テクノロジー」「メディア」「ミュージアム」をキーワードに講義していただきました。

まず最初に、森山氏によるイントロダクションがありました。ジョン・ケージやナチス政権の誕生などが、シアトリカルなものの境界を曖昧なものにしたと指摘し、そのため今回と次回は「パフォーマンス」の視点から「シアター」という場について捉えなおす試みを行うというもの。
加治屋氏は、「アートの非物質性への関心」として、アラン・カプロー、イヴ・クライン、ロバート・モリスを挙げ、彼らのハプニングやパフォーマンス作品を紹介していきました。その後フルクサスの登場で、アートと日常の境界の打破と、スコア共有によるパフォーマンス作品の一回性とリエナクトメントの問題が中心のテーマとなっていきます。
コンセプチュアルアートというと概念的にとらわれがちですが、身体表現が伴うものです。加治屋氏は、ジョン・バルデッサリやエイドリアン・パイパーなどを挙げ、彼らの身体表現を通した政治性、社会性を明らかにしました。
1990年代では、そうした政治意識が高まり、ポリティカル・コレクトネスが重要視されるようになります。また、リレーショナル・アートという「人のつながりを作る」アートが登場します。アートを通して日常では出会わない人々との出会いを生成されます。しかしこれは、クレア・ビショップによって批判されました。
2000年代からは、パフォーマンス作品の美術館収蔵が問題となっていきます。これは、美術館のパフォーマンス作品の収蔵とそのリエナクトメントによっておこるものです。この問題は、商品化を逃れようと非物質化したパフォーマンス作品が美術館収蔵されることで、結果として資本主義に飲み込まれてしまうが、作品のアーカイブ化には必要であるという両義性を抱えた複雑な問題です。またそのリエナクトメントにおいても、作品とパフォーマーがもつ固有性の問題なども含んでおり、これからも議論が続けられていくでしょう。
講義後半では、事前課題へのレクチャーと講義内容に関しての質疑応答が行われました。パフォーマンス作品のもつ政治性、アートと都市の関係性など様々な視点からのディスカッションが行われ、今回の講義内容をより深めていました。

パフォーマンス作品のアーカイブ化と美術館収蔵、一回性とリエナクトメントは、演劇にとっても重要な問題です。「いま・ここ・わたしたち」に接続された作品たちを、どう将来に伝えていくか。芸術史を考えるうえで忘れてはならないことです。

(芸術公社インターン・増田祥基)

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