レポート

夏期集中ラボ中間発表1日目|盛岡

2017.8.16

8月16日、夏期集中ラボの中間発表が行われました。合宿後、8日間の各自のリサーチを経て、現時点でのリサーチ成果やプランを発表・講評し合います。会場は、盛岡市にある盛岡劇場。

講師は、振付家でダンサーの砂連尾理さんと、インディペンデント・キュレーターの服部浩之さんです。
受講生は10分のプレゼンテーションを行い、その後、講師のお二人と相馬の3名が講評をします。

一人目は演劇やダンスを学ぶ寺澤さん。自然や環境と身体のつながりに関心があり、リサーチでは陸前高田の土盛りに注目し、かさ上げした地面を掘って元の地面に眠るものをあふれさせるプランを発表しました。「かさ上げした土盛りが古墳に見えた」という寺澤さん。自分の身体を使って掘る行為自体をパフォーマンスにする展開を考えているとのこと。講師からは「自分が媒介になって行為を他者と共有することを考えるべき」(相馬)、「土地の記憶が強い場所である行為を行うには、土地の人の思いがどう感じるかを想像し、丁寧にやっていかないといけない」(砂連尾さん)といった指摘がありました。

二人目は加藤さん。リサーチでは、石巻の祝田地区で就労支援やボランティア活動なども行う団体の宿泊所に滞在したそう。そこで出会った興味深い人々、地元の人々と彼らの交流や信頼関係、被災地を回り感じたこと、滞在を通して知った隠れキリシタンの伝説や海の歴史などを発表しました。ユーモアも交えたストーリーとして語ったレポートから、加藤さん自身がこの1週間で受けた刺激や衝撃が伝わってきます。「ものすごく興味を惹かれるけれど、今はまだそれをどう作品やプランにまとめたらよいか模索している」という加藤さんに、講師は、「プレゼンテーション自体がすごく面白い。強度のある出会いだったと思うので、長い時間をかけて作品化してみては」とコメントしました。

演出家を目指している櫻谷さん。自身が演劇に惹かれる理由は「制作のプロセスで「対話」を多くすること」だと言います。リサーチとして、自身の祖母が住む秋田の益田町に訪れました。そこで益田町の人々のキャラクターから自分と通じるものを感じ、益田の人たちと対話を通して土地の人とつながっていくプランを発表しました。「自分も対話型のワークショップをたくさんやってきた。対話すること自体に興味があるのであれば、対話を進める枠組みや仕組みを考えてみるとよいのでは」(相馬)など、発想の転換を促す声がありました。

上地さんは沖縄・宮古島出身。これまでやってきたアートプロジェクトの中間支援の仕事を活かしたいと参加してくれました。プランのテーマはふたつ。一つめは、限られた時間で終了する瞬間に立ち会い続ると自分が「アートプロジェクトの死神」のように感じる、そのことを考えるというもの。もう一つは「東北を通して、沖縄という故郷を考えたい」という思いから、同じ名前を持つ岩手の宮古市と宮古島をつなげられないかというプランです。
講評では、アートプロジェクトの終わらせ方が議論に。「看取るという言葉には、見て学ぶの意味もある。学びの場として考えてみるのもいい」(砂連尾さん)という意見に、ポジティブな展開の糸口を見つけたようでした。

岩手県花巻出身、現在は秋田で仕事をする有馬さんは、自分と東北の関係から、現代のふるさとを考えたいと言います。それと、生活をベースにした営みがアートになっていくことへの興味をつなげたい思いを発表しました。ただ、プランはまだ未定のよう。具体的なモチーフを見つけることをしないと作品化にはつながらないという講評があり、今後の展開を翌日のディスカッションに見つけることが勧められました。

震災と記憶の関係から、自分と家族の関係を見つめ直すことがテーマの内田さん。モノを家にため込んでしまう母と自分の共同プロジェクトとして、記憶が詰まったモノをどう手放していくか、処分していくか、を作品化するために、モノにまつわる話を交換するプランを発表しました。講評では、プライベートな出来事をモチーフにする作品はこれまでにもたくさん作られてきた歴史があること、そこには近しい関係にこそ距離感を取らないと、作品を他者と共有することはできないという指摘が。その距離感をどう取るかが作品化へのキーになるのではないかというアドバイスがありました。

映像作品を作る柴田さん。合宿の最後に具体的なプランを発表し、時期尚早と指摘されたことを受け、この期間に自分自身が「震災と向き合う」とはどういうことかを考えたと言います。リサーチを経て、秋田の西馬音内の盆踊りをモチーフに、その衣装を土地の人からもらって集める端切れで作り自分で練り歩くプランを発表しました。すると、講師からは、プラン化や作品化が目標となってしまい、それが本当にやりたいのかどうか見えない、という辛い指摘が。作品を作る核となるものをつかむべきというアドバイスがありました。

震災以降、福島県の小名浜で企画や執筆の活動を続ける小松さん。合宿最後の時点で発表した、小松さんが考える福島のアート巡礼ツアーと、原発の出来事を子どもや孫に伝えていくために昔話化していくプロジェクトの2本をブラッシュアップしていきました。事実をベースにしてきたことで感じた不可能性を、アートを媒介として別の伝え方をして可能にしたいという思いを深めていくうちに、パブリックに発信してきたことと、やりたかったことのずれが顕在化したそう。そのすり合わせを考えているという小松さんに、講師からは、無理にすり合わせずバラバラにあることをそのまま提示する方法を考えてとコメントがありました。

その後、講師の砂連尾さん、服部さんからそれぞれの活動をレクチャーいただきました。

砂連尾さんは、西洋ベースのコンテンポラリーダンスを長くやってきた後、仙台とのつながりができ、震災以降は仙台や名取に通いながら作った作品などを舞台のヴィデオも交えてプレゼンテーション。多くの人たちが関わって作品を作っていくことの面白さと難しさ、地域や人によって震災の受け止め方が異なることなど、実践を通して得られる感覚を語ってくださいました。東北での仕事のほか、障害をもつ人とも共作している砂連尾さん。それぞれの身体がもつ特性の延長として障害があるので、とても自然流れだったという言葉が印象的でした。

服部さんは、建築を勉強したルーツからスタート。大規模な開発や計画を考えることに違和感を覚えたところ、今和次郎の『考現学』や赤瀬川原平の『路上観察学会』などに出会い、身近な事柄や生活を通して建築を考えられることに衝撃を覚えたと言います。
そして、地方を拠点に各地を飛び回りながら活動を続けている中、青森国際芸術センターに勤務している際に震災が起きたこと、そこで見えてきた青森の土地性、原発を通して見えてくる社会的な立場、暮らしと経済的な豊かさのずれなどについてお話くださいました。

盛岡で演劇活動をされる方にも聴講いただき、充実した中間発表1日目が終了。夜は皆さんで懇親会へ。引き続き、対話やお互いの講評が活発に交わされました。

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